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2011/04/22

まあいいや、はよくない?

もうなんだかばったばたで
左欄のライブ告知も全然違っちゃってるし、
演奏したものも判らなくなっちゃいましたー。
まあいいや。

小さい頃から、あんたはまあいいや、まあいいやって
そんなんでどうするんだと親によく叱られてましたが、
40目前になっても変わらないもんです。
と、いうわけで反省。
放置はまずいので、できるだけ早く直して、
スケジュールくらいは正しい情報にします。

ここ最近はいくつか録音に参加させてもらったのですが、
どれもかなり良い感じなので、
リリースがとっても待ち遠しいです。

そして待ちに待ったキリンジ、ビルボードライブのリハも始まりました。
とても面白いライブになりそうな予感♪
リハ楽しいです。

坂本真綾さんのツアーも6月に再開が決まり嬉しいかぎりです。
心新たに、というか気持ちの上ではずっと続いているので、
不思議な感じなのですが、今から楽しみです。

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2011/04/15

ヨット

ちかごろ娘は乗り物の本が気に入っているようで、
保育園への道すがら、
ベビーカーの上、本を片手に
すれ違う車をいちいちページをめくって確認しては、
目をまん丸くして「おとうちゃん!あれ!あれ!」
と教えてくれる。

ヨットのページが気になるようで、
いつも決まった辺りで「ヨット、ヨット!」と大声で叫ぶ。
何度も言っているうちに「ヨット」という発音がだんだん面白くなってきて、
いつの間にかふたりして大声で「ヨット!ヨット!ヨットット!」
などと連呼して遊びながら遅刻確実の保育園に向かう。
で、さすがにヨットだけはいくら探してもいないので、
「ヨットはこのへんにはいないのだよ」
と一応教えてあげるのだが、
あまり納得いかない様子。

本物のヨットに会えるのはいつかね。

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2011/04/03

福島のこと

久しぶりに更新します。

亡くなった方のご冥福をお祈りします。
被災した方々が、一日でも早く日常を取り戻せますように。


誰もがそうだと思いますが、
地震のあとあまりにもいろいろなことが身の回りにおこり、
今も色々なことが頭の中を駆け巡り続けているので、
なかなか更新ができませんでした。

真綾さんのツアーが再開され、とても素晴らしいライブになりました。
プレクトラムも、そして初参加で楽しみにしていた馬の骨も
お客さん達の表情が忘れられません。

音楽家ならぐだぐだ言ってないで黙って音楽やっていろ、
という声も自分の中から聞こえてくるのですが、
今回ばかりは難しそうなので、
長いつぶやきをブログですることにしました。
違う考えの人がいても一向に構いません。
あくまでつぶやきです。


主に福島の話ですが、
とても個人的な話です。
なぜそんな個人的な話をするかという理由も最後にしようと思っています。

数年前に嫁の叔父さんが亡くなりました。
義父の兄弟で長男にあたります。
旦那がミュージシャンだということを聞きつけたその娘さん、
つまり嫁の従姉妹から、新盆に合わせて家族コンサートを開けないか、
頼まれました。
叔父さんの新盆ですから、観客もほとんど年寄りばかりです。
音響はどうしよう、曲目はどうしよう、それ以前にメンバーどうしよう。
ライブハウスやホールで若者相手にバカでかい音で演奏することしか
僕は知らなかったことに気が付きました。
今となってみれば情けない話です。

会場は義父の生家、福島県双葉郡大熊町です。
アンプやマイクはおろか、電気は一切使わないことにしました。
元バンドマン?の嫁がパーカッションをたたきながら生声のみで歌い、
義弟がアコギ、ワシがアコベを弾くことにしました。
アコベってのはいわゆるウッドベースではありません。
アコギのベース版です。どうでもいいか。
義弟ももちろんプロのように上手なわけではないので、
半年くらい前から少しづつ練習を開始しました。
曲目も年寄り達が楽しめるように、唱歌を中心に選びました。
「夏は来ぬ」「埴生の宿」「浜辺の歌」「故郷」など。
少しはポップスもやりたいという話になり、
ビートルズの「I Will」やマイケルの「Ben」、
そして僕的には必殺のキリンジ「スウィート・ソウル」を選びました。
年寄りにもわかってもらえそうな名曲を選んだつもりです。
わかるかな〜なんて言いながら。

練習を進めるうちに歌はひとりじゃ寂しいってことになり、
義母の姉妹達にコーラス隊として加わってもらうことにしました。
叔母さん達はみな福島県双葉郡富岡町に住んでいます。
大熊町のすぐ隣です。
みな歌がとても上手でかわいらしい品のある叔母さん達です。
遊びにいくといつも富岡駅まで迎えに来てくれます。

縁側の扉をみなで外し、居間に観客席をしつらえました。
そこから見下ろされるように、庭をステージにみたてて椅子を並べました。
ステージの後ろには、よく手入れが行き届いた素朴で質素で落ち着きのある
田舎の庭が広がっていました。
小さな池に蛙もいました。猫もいました。
夕暮れ、遠くでカラスを追う爆竹の音が鳴っていたのを覚えています。
集まった親戚たち、ほとんどが年寄りたち、が一曲一曲丁寧に聞き入ってくれ、
一緒に歌ってくれました。
みなコンサートの後の一杯が楽しみなのです。

その後この家族だけのコンサートは三回開きました。
従姉妹がクラシックギターを習い始めたのでメンバーに加わったり、
毎年少しづつレパートリーを増やしたりしましたが、
電気を一切使わないことだけは変わりませんでした。
あとは今月2歳になる娘をメンバーに入れるのが当面の目標です。


みな被災して避難しています。
ここから先の話は今もあまりにも進行中のことなので、
筆がこれ以上進みません。
はっきりしているのは、大熊町も富岡町も酷い放射能汚染のために
立ち入り禁止になっているということです。
あの庭のことを思い出すと涙が出てきます。


沢山の人が亡くなり、自然災害だけでも本当につらい出来事ですが、
原発の事故は暮らしが根こそぎ、過去から未来まで破壊されます。
ひとりひとりが祖先から培ってきた土地との結びつきや
個人の歴史がそこで滅茶苦茶になります。
そしてその悲しみは本人だけでなく、家族、兄弟、親戚、友人、恋人、
とんでもなく広範囲です。


社会はとても難しいです。
社会全体で考えれば、全体で原発を容認し作ってきた
ということになるのかもしれません。
でもそこには確実にお金を巡るシステムや社会の格差が利用されています。
今のシステムが短期的な利益、
特にお金だけを追い求めるためものであるのは明らかです。
怒りに任せて個人を責めても未来への効果はほとんど無いでしょう。
システム全体のことを話しあわなければ、何も変らないでしょう。
ただ、素人の自分が原発に変わる代替エネルギーについて
現実的に論じることなんて不可能だし自分の仕事ではありません。
とてつもなく危険なものなんて誰もが嫌なはずです。
数十年しか稼働できない原発から出てくる放射能のゴミを
数百年管理し続けるという前提そのものが感覚的におかしなバカげた話です。
しかも原発を使い続けるということは
放射能のゴミを永遠に増やし管理し続けることになるわけで、
ほとんど怪談です。

地震後いろいろ調べていて、
何人もの良識ある技術者や学者の話にも辿り着きました。
今はひとりでも多くの学者に良心が残っていることを
信じたい気持ちでいっぱいです。
専門家の叡智と良心を結集して
希望の持てるシステムを創りだして欲しいのですが、
社会全体は沢山の個人史の集合であることを忘れてほしくありません。


僕は楽器を弾くことが仕事です。
エネルギー政策の転換は社会の価値観も変らないと難しいかもしれません。
電気が足りないためにコンサートや野球などの娯楽が減ることも
社会全体が必要とするのであれば、仕方がないと思っていました。
でも、地震後にあったコンサートに何本か参加して、
やっぱり音楽は人間に必要なんだということがはっきりとわかりました。
なので頑張って楽器を弾いていこうと思っています。
そしてまたいつか家族のコンサートを開きます。


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